2011年10月13日

安芸津の平清盛伝説



2012年のNHK大河ドラマが「平清盛」というのは皆さんご存知のことと思います

瀬戸内海、広島には宮島や音戸の瀬戸といった清盛ゆかりの地が多く

先日も安芸津町のすぐ隣町、呉市安浦町沖にておおがかりなロケが行われたそうです


瀬戸内地域に数々のエピソードを残している平清盛ですが

凪の蔵のある安芸津町にも伝えられている伝説いくつかがあります

その中の一つを紹介してみたいと思います




これは平清盛が、音戸の瀬戸を切り開く前の話です


その頃清盛は三津(安芸津町)の寺に滞在していました

三津からすぐ近くに藍之島という小さな島がありました

この島は農夫、漁師あわせて40軒ばかりが住む小さな島でした

この藍之島に毎日、三津へ魚を売りに行く娘がいました

ある日、娘は清盛と知り合いになりました

そしていつの日か清盛と恋仲になりました

娘は清盛からいつか妻にしてやると約束してもらいました

娘は大変喜び、毎日魚を売りに三津へ行っては清盛と会う

そんな日々が続きました

しかし、ある日清盛からこう言われました

「汝とは身分が違うので妻にはできない」

娘は大変悲しみ、来る日も来る日も海辺にたたずんで泣き沈みました

あげくの果てに海に身を投げてしまいました

清盛は娘を不憫に思い、島の西端に埋葬し、小さな祠を建てて

「光海神社」と名づけました。





なんともかわいそうな話です。

でも本当にあった話のように思います。

実は凪の蔵からはこの藍之島がよく見えます




これが光海神社です

残念ながらここは凪の蔵からは見えない角度ですが

現在も存在しています











左の写真が話しにでてきた三津の港(現在の安芸津港付近)

右の写真の左側の島が藍之島です

凪の蔵からみると左に三津の港

右に藍之島で凪の蔵はテラスの写真のように中間に位置します

この位置から両方を眺めるとこの距離を娘は船をこいで清盛に会いに行ったのか
などと想像してしまいます。

こんなちょっとしたエピソードを知っているとより来年から始まる大河ドラマ「平清盛」も楽しみになります

皆さんも凪の蔵のテラスからそんな想像をして眺めてみてください。


こんなエピソードが残る安芸津湾


この海で養殖された


海のミルク 安芸津のかき 解禁まであと1日






  

Posted by naginokura at 03:16Comments(0)地元史

2011年05月26日

龍伝説

凪の蔵からは安芸津湾が一望でき、七つの島が見えます

その中でも一番近くに無人島があります



龍王島です

無人島ですが、市営のキャンプ場があり事前に許可をとれば利用できます

僕の小さい時は「桃島」と呼んでいました。

なぜ、桃島かというと昔、桃の花が咲く時期になると島全体が桃色に輝いていたそうです

島だけでなく近くの海も桃色になり、浪まで赤くなるといわれたそうです

そんな島にも昔から不思議と良い湧き水が流れ、龍王社が祀ってあったそうです

この龍王社が島の伝説と島の名前に由来すると思われますが、少し紹介してみます


今からおよそ1200年以上前の話です

当時、風早には古くから龍が住んでいました

相当の年数を生きた龍で、人間に化けるのはお手のものでした

ある時、龍は娘に化けて村の若者の花嫁になりました

そして夜になると家を抜けでて水浴びをする。そんな生活を送っていました

ある日、妻の着物に海の藻がついているのを不思議に思った夫が

寝たふりをして尾行しました

すると妻は海で龍となり水浴びをしていました

夫に正体を見破られた妻は安芸津の三尾山へ飛んでいき
岩山へ隠れてしまいました

この岩山は良い岩清水が湧き出ていましたが

龍が塞いで毒がでるようになりました

困った住民を見た、旅の僧侶が祈祷を行ったところ

龍は雷鳴を轟かせながら風早の海へ逃げ

そして海へ沈んでしまいました

そして沈んだ龍がそのまま島になったと言われています。

本当なのか嘘なのかはわかりませんが、その島が凪の蔵のテラスからはよく見えます



テラスから島を眺めながら、そんな伝説を想像してみてはどうですか

  

Posted by naginokura at 16:38Comments(0)地元史

2011年05月14日

酒造りの祖

安芸津町出身で有名な人といえば

女子プロゴルファーの岡本綾子さん

大相撲の元関取 安芸の島関などが浮かんできます

しかし、安芸津を語る上で忘れてはいけないのがこの人です



酒造りの祖 安芸津の酒造りの礎を築いた人

三浦仙三郎さん

この方は安芸津の風土にあった軟水による醸造法を開発した方なんですが順をおって
説明してみます



三浦さんは1847年に安芸津の雑貨問屋の長男として生まれました

雑貨問屋の後を継ぎましたが、家業は弟に譲り

三浦さんは酒造業を始めました

この頃の安芸津の状況を説明すると

古くから酒造りに適した気候などに恵まれ、さかんに酒造りが行われていました

特に江戸時代には藩の年貢米の保管所「御蔵所」があることから

凶作時にも業者に米を払い下げるなどの特権を受けますます、酒造りはさかんになりました

しかし、明治時代になると藩の後ろ盾もなくなり、交通の便も良くなり

灘などの名酒も手に入りやすくなり次第に安芸津の酒造業は不振に陥りました

おいしい酒を造らないと生き残れない!!という時代でした

そこで立ち上がったのが三浦仙三郎さんです

三浦さんは私財を投げ打ち研究に研究を重ねました

何回も腐造(酒造りの失敗)を繰り返しました

灘などの産地にも研究、視察にでかけました

そしてある時、ある違いに気が付きました

それは 「 水  」です

灘や伏見は硬水  安芸津の水は軟水でした

灘と同じ醸造法では良い酒は作れない

軟水は軟水の醸造法の開発をとまた研究に没頭しました

この時からも苦労の連続でしたがそれでも努力を続けました

そして酒造りを始めてから約20年

三浦仙三朗さんによる 軟水による改良醸造法を成功させました

そして当時の全国新酒発表会には広島の酒が上位を独占したそうです

ここまでもとてもすごいことですが三浦さんのもっとすごいのはここからです

苦労して開発した醸造法を自分が独占せずに

安芸津はもちろん、西条、広島県内、全国に指導して歩き、広めていきました

そして三浦さんから技術を学んだ杜氏さんたちは「三津杜氏」と呼ばれ

その高い技術で全国各地で活躍されました

現在は西条が酒処として有名ですが三浦さんがいなければそれもなかったかもしれません

米の精米機などで有名な企業 「サタケ」の創業者の方と三浦さんは一緒に研究、協力された
そうですが、日本で始めて精米機にできた年に三浦さんが亡くなられたそうです

これも何かの運命を感じてしまいます

しかし、三浦さんはせっかく開発した技術を惜しげもなくすごいですね

今の僕ならそこまでは絶対できないと思います



ブログの最初に載せた銅像の写真は安芸津の中央部に位置し、小高い丘にある
榊山神社の境内にあります








この写真は高台にある神社から海を見下ろした風景
造船所が見えます

ちなみに安芸津町は昭和18年に三井造船所(戦時中に軍艦などの建造)の進出を契機に
三津村・早田原村・木谷村が合併して誕生しました

そして62年の時を経て東広島市へと・・・

その名残で造船は主要な産業となっています(現在は別の企業による)

安芸津町という町名は昭和18年当時に広島県知事が 安芸の国の良い津(港)という意味で命名した
そうです


安芸津には現在 

関西一(柄酒造さん)

富久長(今田酒造さん)

2軒の素晴らしい酒蔵がありますが、またの機会で紹介していきたいと思います


  

Posted by naginokura at 14:34Comments(0)地元史
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